生マグロの産地から
本州最南端部にある世界遺産と温泉、そしてマグロの町〈那智勝浦町〉。ここで水揚げされる天然の生マグロは、しばしば日本一と称されることがある。
現在もっとも高級とされているクロマグロと異なり、那智勝浦町で主に水揚げされるのは、ビンナガ、メバチ、キハダといった、少しこぶりなサイズのマグロたちだ。一般的には、少し味が劣るという印象かもしれない。
しかし、その味は極上である。――では、何が違うのだろうか。
本記事では、なぜ那智勝浦で美味しいマグロが水揚げされるのか。そのワケを探っていく。
世界有数の降水量がもたらす豊かな海がマグロを育てる
那智勝浦地域は、年間3000ミリ以上の雨が降る、国内有数の降水地帯である。特に那智勝浦町の山間部にある「色川」地区は年降水量(平均値)が3528.5mmで、日本全国で第七位に入る。
国別で見たときの年降水量ランキング一位であるコロンビアが、2020年に3,240mmであったことを考えると、世界的にみても降水量が多いことがわかるだろう。
紀伊山地に降り注いだ雨は、ゆっくりと地面に染み込み、長い時間をかけてミネラルを含んだ水へと変わる。そして熊野川水系などを経由して熊野灘へと栄養を運んでいく。その過程が海を豊かにし、プランクトンやそれを餌とする小魚が増えることになる。
小魚が多いということは、大型の魚にとって良質な餌がたくさんあるということだ。それは近海に訪れるマグロにとっても良いことに違いない。このように、日本有数の降水量と豊かな山々が、美味しいマグロが育つ海を育てているのかもしれない。
黒潮がつくりだす豊かな漁場
那智勝浦周辺の沿岸部には「黒潮」の本流や分岐流が流れ込んでいる。黒潮は日本の海を代表する暖流の一つだ。その影響から隣町の串本町には日本最北端のサンゴ群落が存在しており、南国風の魚も多く生息している。
海流は多くの魚やプランクトンを運ぶ。また川から海に流れ込んだ栄養豊富な水とぶつかることで、さらにプランクトンが生まれ、魚の生息に適した環境が生まれる。さらに入り組んだ海岸線も幸いし、那智勝浦沿岸には天然の漁場が形成されているのだ。
マグロは大型の回遊魚であり、餌や産卵のために広く海を回遊している。那智勝浦の近海はその地形や気候、そして黒潮などの影響で、マグロが集まりやすい環境になっていると考えられる。
延縄漁による丁寧な釣りが、美味しいマグロを届ける
ここまでの話は、気候や地形、海流など自然の条件についてのものだった。確かにそれは、美味しいマグロがこの地域であがる理由の一つであると考えられるが、決してそれだけではない。マグロをとるための人間の技術もまた、そこには大きく関わっている。
現在「勝浦漁港」では、主に延縄漁による生まぐろのみを仕入れている。那智勝浦が「まぐろ日本一」であるというのは、正確には、延縄漁による生まぐろが日本一であるという意味だ。
延縄漁は古くからある漁法だが、18世紀頃に千葉県でマグロ漁に応用され飛躍的に発展した「釣り」の方法である。マグロと釣りと聞くと、一般的に耳馴染みがあるのは「一本釣り」かもしれない。毎年初競りでニュースになる大間のマグロの多くが「一本釣り」を売りにしている。
一本釣りが文字通り、一本の釣り竿で釣り上げる漁法であるのに対し、延縄漁は幹縄と呼ばれる長いロープに、短い「枝縄」を一定間隔で結びつけ、その先に釣り糸を複数つける仕組みになっている。延縄漁船はこの延縄を海に設置し、しばらく置いた後にまた巻き上げることでマグロを釣り上げる。
延縄漁は、長いロープを巻き上げる必要があるため労働環境が過酷であり、すべてが人力だった時代には事故や遭難も多かったという。しかし近代に入って船が機械化・大型化していくと、延縄漁は一気に普及し、幹縄の長さも飛躍的に伸びていった。
現在行われている近海・遠洋の延縄漁において、幹縄の長さは100キロから200キロに及ぶ。このくらいの長さになると、海に入れるのに半日から一日、また巻き上げるのに同じくらいの時間がかかるという。途方もない作業である。
延縄漁の特徴は、端的に「釣り」であるという点にある。様々なサイズの入り交じる魚群をまるごと捕まえてしまう巻網漁などと異なり、延縄漁は狙った魚をピンポイントで採るため、魚や環境への影響が少なく、より持続可能な漁法であると言われている。
また、釣り上げてすぐにまぐろを締めて処理を行うため鮮度が高く、またマグロにもストレスを与えにくいため、身の質が高く保たれるのである。
おわりに――美味しさも変わる、環境も変わる
本記事では、なぜ那智勝浦に美味しいマグロが揚がるのかということについて、気候や地形・海流などの自然的条件、そして延縄漁という技術的条件から考えてきた。
しかし忘れてならないのは、一口にマグロの美味しさといっても、その中身は多様だということだ。
何が美味しいとされるのかもまた、時代によって大きく移り変わる。そもそも江戸時代の初期までマグロは下魚とされていたこと、江戸時代から明治にかけては赤みが人気でありトロが下品なものとされていたのだ。
また、私たちがいま生きている世界は、大きな環境変動の中にある。こうした状況の中では、「これがあるからこうなる」といったような単純な図式は、これまで以上に難しくなっている。
参考資料・サイト
- GLOBAL NOTE
https://www.globalnote.jp/post-816.html - 地理 @ 沼津高専
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/region/climate.html?data=climate&file=amedas_precipitation - 中野秀樹・岡雅一(2010)『マグロのふしぎがわかる本』築地書館.